Black dream~黒い夢~(9)

空虚。
もはや涙すら出てこなくなった。
その視界がノイズが走るように一瞬乱れた。
立ち上がり、力無く振り向いたその視線の先に。

「シオン…だったな」

白衣を纏った女性が立っていた。
いや、立っているという言葉が正しいのかすら判らない。
そもそも「シオン」という存在自体を受け入れる事が容易ではなかった。

「私は、私達は貴方に謝罪しなければならない」

俯き、リュードを見ようとせずただ、呟き続ける。

「一つの因果が生み出した結果に、貴方の心が乱れている事を理解している。それを貴方に強いた事を謝罪する」

行動とは裏腹の、まるで機械のような言葉。
リュードはシオンに歩み寄った。

「俺の選択が数多くの命を救うと君は言った。だから俺は『マターボード』を受け取った。俺自身の記憶の為にもな」
「理解している。事実、貴方が辿った幾つもの道を遡り、違う道を歩んだ事で救われた命があった。貴方も記憶を取り戻した」

マターボード。

それがどんな理由で存在しているのか、どんな理屈で作動するのかなどはわからない。
事象を遡り、選択し得なかった「未来」を掴むための『装置』。
時間という木の枝のように無数に存在する「平行宇宙」を「遡って」移動する。
けれどその為に、幾度と無く「同じ時間」を「異なる時間軸」で生きる事を強いられた。
失われた記憶の中の罪の意識か、「己に課せられた贖罪」として彼はそれを受け入れたのだ。
エコーやゼノが「自分に会った気がする」と思っていたのも、異なる時間軸で既に「出会っていた」からに過ぎない。
マトイもまた、別の時間軸では「失われていたはずの命」だった。
今度もまた、マターボードの示した道によって数多くの命が救われ、結果として「闇の存在」の復活は阻止された。
リュードはシオンに詰め寄る。

「その為に彼女(エリ)が犠牲になる事を俺が望んでいたとでも言うのか?」
「それは、マターボードが示した道の一つでしかない。繰り返す、私は観測するだけの存在だ」
「観測?監視の間違いだろう」
「それは『私達』ではない。私達はその『意思』に抗うために、マターボードを産み出したのだから」
「…そうだな、そんな事はもうどうでもいい」

もう、彼女が戻ってくる事は無い。
その瞳から光が消えている。
何もかもが遅すぎた。
全ての思考を放棄しようとするリュードに、シオンは再び視線を戻した。

「私達は貴方に、一つの可能性を示す」
「…?」
「貴方自身が『マターボード』に干渉し、その未来を『変える』事が出来る」

…何だって?
シオンは、真っ直ぐにリュードを「観測」していた。

「貴方のその反応は予測している。貴方がそれを渇望する事も」
「当たり前だ、そんな事が出来るのなら…!!」
「しかしそれは『彼女を貴方の運命に巻き込む』事に繋がる。貴方がマターボードに干渉する『代償』として、貴方と共に『同じ時間』を幾度と無く生きる事になる」

自分と共に、同じ時間を繰り返し生きる事を強いらせる。
躊躇いが、リュードを押し黙らせた。
それを彼女が望むのか。
たとえマターボードを使って生き延びたとしても、それは己に課せられた「贖罪」を彼女にも背負わせる事に他ならない。
このまま静かに眠らせた方がいいのではないのか。
葛藤が心を乱す。
シオンはただ、そんなリュードを見つめるだけ。

「貴方が望むのであれば、マターボードに触れて願えばいい。彼女の『選択』の時へ、と」
「彼女の時へ…」
「それもまた貴方の選択。貴方の後悔が示した道が、彼女の指針無き時の標となる。私達が貴方にしたように」

ノイズと共に、シオンは「消えた」。
己の右腕に刻まれた「マターボード」が淡く光っている。
自分の選択が、彼女の「命」と「道」を決めてしまう。

「リュードは、どうしたいの?」

背後に気配を感じ、リュードは振り返った。
いつの間にか、マトイがじっとリュードの目を見つめ、心の奥底を見透かすように立っている。

「あなたは、エリアルドと一緒に生きたくはないの?」
「俺は…」

ゆっくりと、マトイはリュードに歩み寄る。

「エリアルドは、貴方だけを見てきた。貴方だけを追って、貴方の為にアークスになったの」
「俺の為に?」
「彼女には誰も居ない。頼るべき親もいない。友達は居るけれど、本当の意味で彼女の心の内を知る人は居ない。ずっと一人で貴方を探し、記憶を失った貴方を助けたい一心でここまで来たの。そして今、一人で消えて行った」

一人で生きる事の辛さは、他の誰よりもよく知っている。
記憶を失ってからの十年間、ずっと他者を拒み続けてきた。
同じ十年前の事件で、彼自身が肉親を失っていた事も思い出した。
あの時に自分と同じ境遇の少女を助ける事で、己自身も救えた気がした。
だからこそ、あの言葉を残した。
自分自身に言い聞かせるために。
なのに。
記憶を失っていたとはいえ、自分の為に必死になる彼女が判らなかった。
いや、分からない振りをしていただけなのだ。
巻き込みたくないと、彼女を突き放した。
そしてそれはエリも同じ。
自分を巻き込むまいと、一人で全てを背負って死んでいった。

「それって、幸せなの?」

ふと、マトイは視線を外した。
遙か遠く、マザーシップを見つめるその紅い瞳。

「闇はきっとまた、器としての貴方を求めてくる。その時に一人だったら、貴方はそれに耐えられる?」

今回は「エリ」が止めてくれた。
けれどまた同じ事が起きたら、それに抗うだけの能力が自分にあるか。
それは即ち「宇宙の崩壊」を意味する。
そうならなくとも、他にまた自分と同じような「器」を押し付けられる者が「産み出されてしまう」かもしれない。

「あなたがどうしたいか、それが一番だと思うの。それがどんな道であっても、彼女はそれを受け入れてくれると思う」
「…君は…」
「私は、マトイ。貴方と同じ『器』として生み出されたヒト」

そう言って、マトイはくるりと背を向け、歩き出した。
たった一人で。

一人で生きるのは「楽」だ。
だが、それは全ての「可能性」を放棄している事に他ならない。
一つの思いが、彼を動かした。
リュードは「マターボード」にゆっくりとその左手で触れる。
その「時」に戻るために。



「────────っ!!!!」

エリは、ベッドから跳ね起きた。
あまりの息苦しさに、肩で息をする。
酷い汗を、その腕で思わずふき取った。

「…なんて夢…」

酷い夢を見た。
過去の惨劇ではない、今まで見た事がない夢。
夢にしてはあまりにも生々しく、その感触は未だ手足に残る。

気付くとタイマーがけたたましく鳴っていた。
起きなきゃ。
いくら怪我の休みを貰っているからといって、いつまでも寝ていられない。
目覚ましを止めベッドから立ち上がり、手早く汗を拭いてから動きやすい普段着を身に着け。
そのクローゼットの傍らに置いてあるハンター用のスーツに目が止まる。

「…今日でこのスーツともお別れね」

もう、脇腹の傷も殆ど痛まない。
今日中に、クラスカウンターで「クラスの変更」をしないと間に合わない。

クラスチェンジしたら、ローラにも報告しないと。
訓練もしなきゃ、とても二人のサポートは務まらないわ。

身分証明のアークス許可証を手に部屋を出て、足早に真っ直ぐクラスカウンターへと向かう。
手続きをしようと、カウンターに手をかけたその時だった。

その左腕を、突然大きな手が掴んだ。

「?!」

リュードが、エリの手をカウンターから剥がす様に引いた。
息を切らせたその顔は、今までの彼とはかけ離れた必死なもの。

「…どうしたの?」
「やめてくれ、フォースにはなるな」

その言葉に、エリは呆然となった。
誰にも言っていない筈なのに。

「どうしてそれを?!」
「話がある。ちょっと来てくれ」
「え…ちょっと、待って!!」

腕を掴んだまま、リュードは強引にエリを連れて歩き出した。
有無を言わさぬその様子に、エリはそのまま引きずられるように付いていくしかなかった。
その様子を、少し離れた場所から見ていた人物が居る。

「…何だよ、リュードの旦那もやれば出来るんじゃねぇか」

ゼノがベンチに寄りかかるようにして座りながら、くっくっと肩で笑っていた。

「ゼノ、こんな所にいたの?」

背後から、エコーの声がする。
笑ったまま、ゼノは振り返った。

「よぉエコー。珍しく遅刻じゃないんだ」
「私だって指令のある時はちゃんと起きれるわよ。…それにしても」
「どうしたんだろな、旦那。昨日まであんなにクールだったのに、今は彼女に必死になってる」
「流石に怪我をさせたのが悪いと思って、ちゃんと謝るつもりなんじゃない?」
「…そんなんじゃねえなありゃ」
「じゃあ、どんな理由よ」

男にしか分からんだろうな、これは。
エコーに聞こえないように、ゼノはそう一人ごちた。
ちらりと自分の隣に立っている、全く持ってこちらの感情など理解しようとしない女性を見る。
こっちはどうやら、もっと時間がかかりそうだ。

「やーれやれ…」

苦笑しながら、ゼノはリュードとエリが消えていった2階のショップエリアに通じるゲートを見た。



「痛いわ、離して」

アイテムショップの前で、エリが立ち止まった。
言われて、リュードは必要以上に力を込めて腕を掴んでいた事に気付いた。
慌てて手を離して、エリに向き直る。

「あ、すまん。大丈夫か?」
「ええ」

あまりのリュードの態度の変化に、エリは首をかしげる。
掴まれていた手首を右手で摩りながら、訝しげに問うた。

「何かあったの?」
「もう少し人の居ない所で話したい。時間を貰えるか」

周りは、買い物をするアークス達が行き来している。
エリ自身は早くクラスカウンターに戻りたかったのだが、それを止めた彼の様子も気になった。
あれほど言葉が少なかった人なのに。
ふう、と溜息をついて、笑う。

「仕方ないわね、行くわ」
「すまない」

ショップエリアの中央の階段を下り、右手の奥まった場所に静かなグリーンスペースがあった。
ここなら、滅多に人が来ない。
いくつか据え付けられたベンチにエリが腰を降ろすと、少し離れた場所にリュードが座った。

「で、話って何?」

リュードは首筋にある「戦略OSの電源」が切れている事を確認してから、エリへと視線を送る。

「フォースにはならないでくれ。絶対に、だ」

今までに無い、強い口調。
改めて言われて、エリは少し身を引いた。
その真っ直ぐな目に、たじろいだのものある。

「何故私がフォースになろうとしている事を知っているの?」
「それは…説明するのが難しい」

その態度に、エリは少し腹が立った。
一方的にフォースになるなと言っておいて、それは無い。

「そもそも、何故フォースが駄目なの?チームには不可欠な存在よ?」
「駄目なものは駄目なんだ。君の命に関わる」
「…え?」

言ってから、リュードは口を滑らせた事に気付いた。
慌てて視線を逸らし、口を噤む。
益々怪訝そうな顔をして、エリはリュードを見た。

「どういう事なの?」

話すべきかどうか、リュードは躊躇った。
そもそも、信じてもらえるかすら分からない。
今まで自分が見てきた事を。
言葉を捜して視線を泳がせるリュードに、エリがふうと溜息をついた。

「…今朝ね、酷い夢を見たの」
「夢?」
「話半分で聞いてね」
「ああ」

彼女の口から語られたもの。
断片的ではあったがそれは、リュードが見てきた「真実」そのものだった。
自分がフォースになって直ぐ、別のシップにダーカーが沸いた事。
ダーク・ラグネとの戦闘。
自分もろとも、ダークラグネを消滅させた事。
「平行宇宙」での経験は、少なからず別の時間軸の「本人」に影響を与えているのは間違いない。

「あんまり生々しくて、とても夢とは思えなかったわ。予知夢とか言っても笑ってしまうけど」
「夢じゃない」
「…え…?」
「夢じゃないんだよ、エリ」

その「呼び名」が、もう一つの時間軸からの「記憶」を呼ぶ。
リュードの手元が、輝いていた。
それは「事象の羅針盤(マターボード)」が見せた、エリにこれから起こるであろう「未来」の一つ。
エリは呆然と、リュードを見つめる。

「…あ…」

エリと呼んだのは、その呼び方を知っているのは両親。
そして、十年前に自分を助けた青年だけ。
目の前に居る男性は今、自分をそう呼んだ。
そして今自分の中にある、この「記憶」。
混乱して、エリはどっと背もたれに寄りかかるようにして頭を上げた。
考え込む時の、眉間に自分の拳を当てる癖が出る。

「待って、ちょっと待って。お願い」
「無理も無い、落ち着くまでしばらく一人で考えてくれ」
「待って!」

立ち去ろうとするリュードの手を掴んで、エリは引き止めた。

「私、本当に…死ぬのね」

あの場所で、決意に満ちた顔で命を捨てたエリとは思えないような怯えた瞳。
それは十年前と変わらない。
きっとあの表情は、己の中の恐怖を覆い隠したものだった。
リュードは静かに、頷く。

「君がフォースにならない限り大丈夫だよ」
「でも、それじゃ回復や補助がどうしたって間に合わないわ」
「フォースは他にも居る。君はハンターとして戦えばいい」
「だけど…!」
「君がハンターとして今まで生き延びて来たのには理由がある。そうだろう?」

そう言って、笑った目にある輝き。
間違いない。
今目の前に居るのは、紛れも無くあの時私を助けてくれた人。

「やっぱり…記憶が…?」
「ありがとう。君のお陰で、自分を取り戻せた」

はにかんだ様に笑うリュードに、エリはいつの間にかその瞳から涙を溢れさせていた。
十年の間、一度も流した事の無い涙を。
リュードは頭を掻いて、苦笑した。

「泣かせるつもりはなかったんだがなぁ」
「あ…変ね、何で私泣いてるのかな、ふふ」

慌てて涙を拭いて、エリは笑った。

幾度と無く繰り返される時の中。
今回ほど、マターボードに感謝した事は無かった。
己の記憶はそのままに、命を救う為の選択が出来る。
目の前の女性を自分の宿命に巻き込んでしまったという気持ちはあるが、それ以上に「彼女が生きている」事が嬉しかった。




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